春合宿

3月12〜14日の間、新潟県越後湯沢で春合宿を行いました。

山梨、山梨、新宿と続いてきた文学会の合宿。ついに今回は、川端康成の小説「雪国」の舞台でもある越後湯沢でした。文学らしさが溢れてますね。

今までの移動は普通電車だったのに、新幹線ですよ。

到着するなり、道端に積もった雪を見てはしゃぐ会員たち。平和でした。

1日目は夕方から「流謫」合評とビブリオバトルを行いました。

「流謫」というのは、文学会で発行している会内誌で、会員が書いた小説や詩などが収録されています。合評では、対象作品をみんなで読んで、意見を交換します。
今回は1年生の作品「少年と魔女」を合評しました。文体に関する議論が盛り上がりました。

ビブリオバトルでは、各自が持ち寄ったおすすめの本を制限時間内で紹介します。全員の発表が終わった後に投票を行い、1位と2位を決めます。
今回は1年生をメインとしたビブリオバトルでした。
1位は小川洋子博士の愛した数式
2位は堀辰雄風立ちぬ
となりました。作中の好きな文章を朗読している最中に時間切れになったり、何も準備してなかったと言いつつ明晰な発表をしていたのが印象的でした。

夜はおいしいご飯をいただき、温泉を堪能した後、懇親会を開催しました。

2日目は夕方まで自由行動でした。
各自が自由に観光したり、くつろいだりできるのが文学会の合宿の特徴です。

やはり新潟ということで、スキーへ行った1年生たちもいました。文学会といえども、スポーツだってやるのです。たまには身体を動かさないと。

川端康成が「雪国」を執筆したホテルを訪れた人たちもいました。実際の部屋から見える景色は綺麗だったそうです。

他にも、買い物に行った人たち、ホテルでカップ麺をすすっていた人もいたりと、個性豊かな会員たちでした。

次の夏合宿も楽しみです。

【推薦文】いなくなれ、群青

この記事では会員が作成した『いなくなれ、群青』の推薦文を公開致します。
(推薦文とは→http://d.hatena.ne.jp/chuo-bungakukai/20161022/1477118453


[本紹介]
河野裕『いなくなれ、群青』2016年、新潮文庫nex


[あらすじ]
11月19日午前6時42分、僕は彼女に再会した。誰よりも真っ直ぐで、正しく、凜々しい少女、真辺由宇。あるはずのない出会いは、安定していた僕の高校生活を一変させる。奇妙な島。連続落書き事件。そこに秘められた謎……。僕はどうして、ここにいるのか。彼女はなぜ、ここに来たのか。やがて明かされる真相は、僕らの青春に残酷な現実を突きつける。「階段島」シリーズ、開幕。
※上記の文章は新潮社のホームページ(http://www.shinchosha.co.jp/book/180004/)より引用致しました。


[推薦文]
人は誰しも、成長する過程で変化を経験する。
それは外見や環境といった外面的なものから、性格や嗜好といった内面的なものまで、
様々である。
ただ、前者は目に見える変化であるのに対し、後者は目に見えない。
内面の変化は外面の変化と比較して、経験しても自覚するのが遥かに難しいのだ。
『いなくなれ、群青』は、そんな内面の変化に焦点を当てた作品である。


物語の舞台は「捨てられた人々の島」、階段島。
この島を訪れる人たちは失くしたものを取り戻すことで島を出ることが出来るという。
島の住人たちは「捨てられた」というだけあって、一風変わった人間ばかりだ。
学校恐怖症な先生、いつもゲーム音楽を聴いている少年、あらゆる誤解に怯える繊細な少女。
そんな変わった人々に囲まれながらも、悲観主義な少年、七草は平穏な生活を送っていた。
誰よりも真っすぐで正しい少女、真辺由宇と再会するまでは。
二人の再会から、安定した七草の生活は一変する。
島には来ないはずの小学生の登場。ピストル星の落書き事件。島を管理している魔女の暗躍。
七草と真辺はクラスメートと共に真相究明に乗り出す。
だが真実は彼らの理想と反する残酷なものだった。


自らの理想を叶えることは、難しい。
現実では全てが自らの思い通りにいくとは限らないからだ。
むしろ思い通りにいくことの方が少ないだろう。
厳しい現実と折り合いをつけながら、私たちは成長していく。
成長する過程で、諦めたことや妥協した経験があなたにもあるはずだ。
それらは後悔や遺恨といったマイナスな感情を伴って語られるかもしれない。
しかし、この作品はそんな負の側面だけを書いたものではない。
不要だと思っていたものの中からも、得るものがあるはずだ。
作中で描かれる登場人物の苦悩は、あなたにとって過去と再び向き合い、そこから何かを得る契機になるだろう。
過去から学んだことは、必ずあなたの財産となる。
本作は、そんな大切なことを改めて教えてくれる優しい物語だ。

【推薦文】スプートニクの恋人

 この記事では会員が作成した『スプートニクの恋人』の推薦文を公開致します。
(推薦文とは→http://d.hatena.ne.jp/chuo-bungakukai/20161022/1477118453


[本紹介]
村上春樹スプートニクの恋人』1999年、講談社/2001年、講談社文庫


[あらすじ]
この世の物とは思えない奇妙な恋の物語
22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。――そんなとても奇妙な、この世のものとは思えないラブ・ストーリー!!
※上記の文章は講談社BOOK倶楽部(http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062731294)より引用致しました


[推薦文]
 理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない。 これは『スプートニクの恋人』作中の一文である。私たちが生きる上で便宜的に得てきた、あらゆるものへの理解の砂山は、一粒の誤解をうずたかく積み重ねたものに過ぎない。理解の基盤はもろく、それは他人の指先であっさりと崩れ去る。よって私が以下に書きつづった推薦文も、あくまで誤解の総体に過ぎず、そこに盤石な論理は存在しない。しかし、それでも何かを書きたいという思いによってしたためられた文章は、より正しい理解を導くためのたたき台になりうると、私は信じている。
 『ノルウェイの森』という同作者の著名な作品がある。さる大学生の精神世界の冒険を描いたこの作品は、その冒険からの帰還によって幕を閉じる。『ノルウェイの森』の顕著な特徴は、冒険者を迎えるヒロインを置いたところにある。主人公は厳しい冒険に疲れ果て、帰り道のありかも忘れかけて、暗く深い森をさまよっている。しかし、主人公は森の出口に彼のことを待ち続けていたヒロインの姿を見つける。彼女は、主人公が現実世界に帰還するための道標になるのである。
 それにしても、ヒロインはどれほど主人公を待ち続けたのだろうか。誰かを待つことの苦しさは、過酷な冒険の苦しさにも劣らない。私たちは、『スプートニクの恋人』を読むことによってその苦しさを味わうことになる。それは『スプートニクの恋人』の構造が『ノルウェイの森』を反転させたものであることによる。つまり、『スプートニクの恋人』の主人公は、『ノルウェイの森』のヒロインと同じ役割をもったキャラクターなのだ。『スプートニクの恋人』の主人公の独白は、いつもヒロインを待つことの苦しさに耐えているようで、やりきれない。年上の女性に激しく恋をしたヒロインと友達の関係にある主人公は、自らの想いを胸の奥に隠して日々を忍ばなければならない。森の外に置いてきぼりにされたものの心境がどのようなものであったのかを、私たちは『スプートニクの恋人』を読むことによって理解することができる。

【推薦文】失はれる物語

 この記事では会員が作成した『失はれる物語』の推薦文を公開致します。
(推薦文とは→http://d.hatena.ne.jp/chuo-bungakukai/20161022/1477118453


[本紹介]
乙一『失はれる物語』2006年、角川文庫


[あらすじ]
事故で全身不随となり、触覚以外の感覚を失った私。ピアニストである妻は私の腕を鍵盤代わりに「演奏」を続ける。絶望の果てに私が下した選択とは? 珠玉6作品に加え「ボクの賢いパンツくん」を初収録。
※上記の文章は株式会社KADOKAWAのホームページ(http://www.kadokawa.co.jp/product/200601000042/)より引用致しました。


[あらすじ]
 僕たちは普段生活している中で、他者から発される信号をどれだけ受け止めることが出来るだろうか。そして、どれだけ互いを分かり合うことが出来るだろうか。何故このようなことを言うのかというと、この物語では主人公が五感のうち四感を失うためだ。
 主人公は妻と諍いが多かった。しかし、彼らは互いを嫌悪している訳でもなく、かと言って歩み寄ることもできない。ある日主人公は交通事故に遭い、全身不随になってしまう。彼に残された感覚器官は右腕。それも肘から下だけだ。かろうじて右手の人差し指だけかすかに動かせるが、それ以外彼は体のどこも動かすことはできない。それどころか感覚さえないのだ。そんな主人公の人差し指に気づいたのは妻だった。妻が彼の手に文字を書くことによって彼は様々な情報を得る。そして妻はある時から彼の腕を鍵盤に見立て、ピアノを弾き始めた。主人公は事故に遭うまで妻のピアノはとても上手であるという認識しかなかったが、弾く時々で妻の感情が現れることを悟る。事故に遭う前、主人公は妻の本心に歩み寄ることが出来なかったにもかかわらず、四感を失うことによって妻の感情を知ることが出来たのだった。こうした妻の献身的な対応とは裏腹に、主人公は自分が妻の足かせになっていると感じる。そして彼は妻を無視することで妻の人生から消えようと考えるのだった。ひょっとするとこの作品は主人公と妻の誠実さが裏目に出た悲しい物語なのだろうか。
 ここで初めの問いに戻ってみよう。僕たちは普段生活している中で、他者から発される信号をどれだけ受け止めることが出来るのだろうか。この作品では主人公は触覚だけになる事でようやく妻の本心に触れることが出来た。僕たちも五感のうちのどれか一つに注目することで、今まで見えなかったものが見えてくるのかもしれない。とはいえ主人公と妻は最終的に分かり合えたわけではない。主人公は自分の死を望み、妻は彼を生かし続けて物語は終わる。彼らは互いのことを深く理解しているにもかかわらず、分かり合うことはできなかった。それでも僕たちは他者とわかりあうために手を伸ばすべきだろう。何故ならこの物語の主人公や妻の誠実さは、相手を愛しているからこそ現れるものであり、まさに彼らの愛情表現であり愛の証明であるからだ。もしかするとこの物語は僕たちに、たとえ指一本になろうと愛が失われることはないと訴えているのかもしれない。

【推薦文】草枕

 この記事では会員が作成した『草枕』の推薦文を公開いたします。
(推薦文とは→http://d.hatena.ne.jp/chuo-bungakukai/20161022/1477118453


[本紹介]
夏目漱石草枕』1950年、新潮文庫/1999年、青空文庫


[あらすじ]
智に働けば角が立つ――思索にかられつつ山路を登りつめた青年画家の前に現われる謎の美女。絢爛たる文章で綴る漱石初期の名作。
※上記の文章は新潮社のホームページ(http://www.shinchosha.co.jp/book/101009/)より引用致しました。


[推薦文]
 2016年に没後100年、2017年に生誕150年を迎える作家、夏目漱石。本作『草枕』は、彼が小説家として活動を始めてから二年目にあたる、1906年に発表されたものである。
 この作品には普通の小説とは異なる特徴がある。物語を楽しむつもりで本作を読もうとすると、違和感を覚えるだろう。なぜなら、本作には登場人物の感情の揺れが描かれたり、何かの事件をきっかけにして展開がガラッと変わったりするということがないからだ。本作の話の流れは、語り部でもある主人公が都会を離れ、田舎にある温泉場に逗留するというものだが、彼は色恋や情といった日常における「人情」から離れ、始終第三者の立場にいることに徹している。いわば、無垢な子供のような視点で周囲を見ているのだ。一歩引いた立場から世界が見られ、その物事に対して芸術論が展開されるため、本作を話の起伏や心情描写という「色」がない、モノクロの評論文のようだと感じる人もいるだろう。『草枕』が小説といえる理由は、結末から振り返れば物語の筋ができているように見えるからというだけなのかもしれない。実際、漱石自身も本作の目的は「美しい感じ」を与えること以外にないと述べており、「此の種の小説は、従来存在してゐなかッた」としてその画期性を主張している。
 では、そんな『草枕』の魅力とは何か。私たちは、その魅力も主人公の視点からくると考える。日常から離れた第三者という立ち位置にいる、彼の目線で物事をとらえることで、読者は世界の異なる見方を意識することができるのだ。その例として挙げられるのが、温泉場で主人公が出会う女性、那美さんである。作中での彼女のふるまいは異様であり、もしこんな人間が身の回りにいるとすれば、恐らく大部分の人が彼女と関わることを避けると思われる。しかし、主人公の視点、つまり俗世の風評といった「人情」を抜きにした、客観的な視点で見られると、那美さんは優雅で美しい女性としてとらえられることになるのだ。このように日常から離れた視点で世界とらえなおすことで、その良さ、美しさを感じることができる。このことが『草枕』の魅力なのである。
 ストーリーを楽しみたい人に本作を勧めることは難しい。日々のしがらみに嫌気がさしている人、周囲の物事を異なる視点から見直したい人、そんな人たちにこそ、この小説は価値がある。主人公のように「非・人情」の境地を楽しむつもりで読んでもらいたい。

【推薦文】ハルコナ

 この記事では会員が作成した『ハルコナ』の推薦文を公開致します。
(推薦文とは→http://d.hatena.ne.jp/chuo-bungakukai/20161022/1477118453


[本紹介]
秋田禎信『ハルコナ』2016年、新潮文庫nex


[あらすじ]
5年前、遠夜(とおや)の隣に引っ越してきたハルコは特異体質の少女。数十キロにわたり花粉を消滅させるかわりに 自分には有毒となるため、宇宙服のような防護スーツを着けなければ外出ができない。通学は遠夜がサポートを続けるなか、事故が起きる。それはクラスメート を巻き込む事件へと発展するのだが。――世界を敵に回してもハルコを守りたい、と願う17歳の決意が迸る圧倒的青春小説!
※上記の文章は新潮社のホームページ(http://www.shinchosha.co.jp/book/180069/)より引用致しました。


[推薦文]
 この本は、まず表紙がかわいい。表紙の女の子がかわいい。そして、帯。帯に銘打ってある「純愛」という言葉を見て、この本を手に取った。いざ読んでみると、なるほど、それは高校生らしい、不器用な愛情が描かれていた。
 主人公の名前は藤呼遠夜。彼は、特異な体質を持つ少女、花園ハルコを介助しながら日々を過ごしている。遠夜は他のどんなことよりも、ハルコのことを考え、またハルコは遠夜を必要としている。二人の関係は、まさに若くて盲目な恋人同士だった。
 しかし、いつもと変わらない帰り道で起きた小さな事件をきっかけに、物語は思いもしない方向へ転がっていく。少年と少女、二人を置き去りにして。
 これは読者である私たちも、現実の世界でしばしば経験することだろう。ある問題に直面する時、当事者の周りにはたくさんの人が集まってくる。彼らはそれぞれ勝手に行動する。当事者を助けようとする。野次馬になる。ときには、危害を加える。そしていつの間にか、事態は当事者の抱える思いと、まるで違った方向に移行していく。
 この物語でも、事件をきっかけに、遠夜とハルコの周りには様々な立場の人が集まってくる。彼らはそれぞれの正義を掲げて行動する。しかし彼らの行動はある点でよく似ていた。それは、まるでアレルギー反応のような、徹底した異物の排除だった。そして彼らにとっての現実は、二人にとっての現実とはすれ違っている。遠夜もハルコも、当事者のはずが蚊帳の外にいた。
 遠夜は、彼らの生む空気に翻弄されていた。ハルコに否定的な目を向ける人々も、肯定的にハルコを守ろうとする人々も、彼ら自身が生み出す空気にアレルギー反応を起こして、収拾がつかなくなっていった。その中で遠夜は悩み、考え、そして行動する。空気との対決を試みる。
 物語の最後、遠夜はハルコに「自分の身体のこと、どう思う?」と尋ねる。この質問に対するハルコの答えが、まさに二人にとっての現実だった。自らの手では触れることのできない空気に翻弄される中、二人が見つけた現実とは何か? 一見するとファンタジーなこの小説が描く現実は、私たち読者にとってもリアルに感じられるだろう。ハルコの答えは是非、自分の目で確かめてほしい。

【推薦文】モモ

 この記事では会員が作成した『モモ』の推薦文を公開致します。
(推薦文とは→http://d.hatena.ne.jp/chuo-bungakukai/20161022/1477118453


[本紹介]
ミヒャエル・モンデ『モモ』大島かおり訳 1976年、岩波書店/2001年、(愛蔵版)岩波書店/2005年、岩波少年文庫


[あらすじ]
時間どろぼうと,ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子モモのふしぎな物語.人間本来の生き方を忘れてしまっている現代の人々に〈時間〉の真の意味を問う,エンデの名作.
※上記の文章は岩波書店のホームページ(http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-114127-2)より引用致しました。


[推薦文]
あなたは時間に追われていませんか?
せわしなく街を歩く人々、列に並び順番にお金を払って機械的に食事を済ます人々、お金だけを与えられて一人にされる子どもたちや、建物の中で頭のよくなる遊びをする子どもたち。
昔は、だれかひとりぼっちの者がいれば近所みんなで助け、客は狭い居酒屋で思い出話に花を咲かせながら夜を過ごしていました。
子どもたちは、なにも持っていなくとも、野山を駆け回り、広い空想の世界で遊んでいたはずでした。
「時代が変わったんだ」という言葉からは、逃れられないように思われます。
例え灰色のつまらない日々であっても、社会が動く通りに動かなければ、私たちは生きていけないのです。

しかし、それが灰色の男たち―時間どろぼうに時間を盗まれているからであったらどうでしょうか。
そして、私たちがそれに気づいていないのであったら?
社会に縛られない人々を見て、「自分より彼らの方が自由なのではないだろうか」と考えたことのある方もいるのではないでしょうか。
主人公のモモはそんな存在です。
時間に縛られることのない浮浪児のモモは、時間をかけて「人の話を聞くこと」を特技とする女の子です。
モモが話を聞けば、悩んでいる人は自分の意志をはっきり見つけ、喧嘩をしていた人々は仲直りをしてしまい、人々の時間を盗んだ時間どろぼうさえも自分の正体について話してしまうのです。
モモがいたらどんなに良かっただろう、私たちはそう思ってしまいます。
しかし、盗まれた時間を取り戻してくれる女の子は現実には存在しません。
あなたが時間に追われ、目に映るなにもかもが灰色になってしまった時には、きっとこの物語を思い出すでしょう。
時間は盗まれてしまっただけです、取り戻すことができるのです。
そう考えるだけでも、未来に希望が持てませんか。
時間を取り戻してくれたモモのように、だれかの話を、または自分の話を、時間をかけて聞いてみてください。
それがどんなに大切なことか、きっとわかってくるはずです。