四千年後の未来はカキで身を守る

 こんばんは、紺屋です。
なんかもういろいろとご迷惑おかけしました……。
ダメ人間……!
と、このまま行くと延々盛り下がることうけあいなので(私は嫌いじゃないですが^^)
とにかく一発元気に書いてお詫びのかわりといたしましょう!
OK\(^o^)/


 今回はアメリカのSF作家、
コードウェイナー・スミスの「人類補完機構シリーズ」唯一の長編『ノーストリリア
あたりを紹介しようかと思います。
最近ですと「新世紀エヴァンゲリオン」の用語の元ネタにされた、
作家の泉和良氏が強く影響を受けているとの発言があった等で話題になったシリーズ唯一の長編。

 ほぼネタバレなしで読後印象に残ったところをまとめますと
世界観の清潔さと泥臭さ、異様さの同居、強く異世界性を感じさせる表現、
(そのわりには)SF的ガジェットに対する説明が非常に淡白であること、
一種の宗教的な意志が貫かれていること、が挙げられます。
 世界観の異様さとか異世界性の描写というのは、SFを読む上での楽しみの一つだと私は思っています。
ノーストリリア」(と補完機構シリーズも)は
今の人類世界の延長線上にあるが、技術の発達と管理組織の活躍によって変貌していった世界というのが
あっさりと書かれているのが面白い。といっても決してスカスカで書きがもの足りないようなものではなく
それで話が1つ書けそうなところも気にせず飛ばして行って話を進めている感じです。
執拗に説明するのが面白い場合もありますが、短編はともかく長編であまり書きすぎると
大抵は設定厨とか長すぎる面倒つまらないとか言われてしまうわけです。
背後には一貫した設定があり1つの架空の人類と科学、
文化、宇宙の歴史の設定に基づいて、書かれているんですが
それの垂れ流しではなく書くべきところだけ書いてあるので意味不明なのに読みやすい(笑)
またこの作品の場合、説明の少なさで読者に対して作品世界に対する
わけのわからなさを意識させることに成功している。
まるで本当に見知らぬ土地に放り出されたかのようなリアルな感覚がそこにあります。
(そういえば主人公も故郷から放り出されて話が始まるんでしたっけ、どうでもいいけど。)
ともかく作者のここいらの書き込みの匙加減が、この作品(ひいては補完機構シリーズ)に
「病的」(ってどこかの批評に書いてあったの。私もそう思う)
とも表現される奇妙な色気をもたらしているところでしょう。
演出の加減ってのは大事だなと言うことを感じましたね。
 そして、この長編のストーリーの方の魅力は、
まず主題としては明るく、(世界観に反して)健康的に主人公のSF成長譚を描ききったところ、
その上で、限界まで説明性を廃した背景描写からかすかに、しかし終始漂いつづけ、
物語の締めに至ってはっきりと主人公の目の前に叩きつけられる
「個人がどうなろうがまるで変わらない、世界の理」を、
冷酷さすら感じさせるくらいにさらりと書いてしまうところでしょうか。
それはそりゃあそうでして、ここで物語は終了のままです。
この後主人公はどう考えたのか、何かしたのか、何もしなかったのか、
書かれずじまいなのは素敵だなと思います。
私は謎があると気になって仕方がない性質なのですが、これは納得できる終わり方でした。
……スミスはこのシリーズの最後に宗教的なオチをつける予定だったそうですが、
すべてを書き上げる前に亡くなりました。
書かれるならこの冷たい現実もひっくるめた何らかの救いを用意したりはしたのでしょうか。
それは少し気になります。


以上で安易な感想で申し訳ないです。実際に読んだ方がいいですよ。
というわけで文庫版のあとがきにもありますが、

C・スミスの唯一の長編SF作品であり、あと猫も出てくるので読んでない方は読みましょう。
最悪立ち読みでもいいからさ! これを読まないとか人生の大いなる損失ですから!
……だといいな……。





 そろそろ2年陣が終わりそうですね。次は清水さんに回したいと思います。よろしくお願いします。